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テコンドーの歴史

1955411日、「テコンドー」という名称が、崔 泓熙(チェ・ホンヒ)師 が日本留学中に学んだ松濤館空手を元に独自の工夫を加えて、正式に命名された]

「テコンドー」命名以前

1940年中盤の朝鮮半島では、韓国併合後に日本から伝わった空手が「コンスドー(空手道)」、「タンスドー(唐手道)」などの呼称で普及しはじめた。当時の主な道場勢力は以下の通りである。

○ 青涛館(1944-

 初代館長は李 元国(イ・ウォングク)師。日本留学中に松武館の盧 秉直師とともに松濤館へ入門、船越 義珍師に師事。挑戦戦争勃発時、軍の召集を拒み日本へ密航した。青涛館の分館として4つの道場が派生。

●   吾道館 

 館長は崔 泓熙(チェ・ホンヒ)陸軍少将。軍隊内でその教義を広め、民間道場とは一線を画していた。「テコンドー」の名称が決まるまでは自らの雅号「蒼軒」に因で「蒼軒流唐手」と称していた。ベトナム戦争時は657名のテコンドー師範を同地に派遣した。

●   国武館

●   正道館

●   青龍館

○ 松武館(1946-

館長は盧 秉直(ノ・ピョンジク)師。日本留学中に青涛館の李 元国師とともに松濤館へ入門、船越 義珍師に師事。後に大韓テコンドー協会の第5代会長に就任。

○ 朝鮮研武館空手道部 / 智道館(1946-1967年)

館長は田 祥燮(チョン・サンソプ)師。柔道道場内に発生。後年、智道館に改称。

○ YMCA拳法部 / 彰武館(1946-

館長は尹 炳仁(ユン・ピョンイン)師。後に智道館と親交を深める。後年、彰武館に改称。この分館として講徳院、韓武館等がある。

○  武徳館

館長は黄 g(ファン・ギ)。鉄道局内のクラブとして発生。黄 gは南満州で中国武術を学んだとしている。後に「手縛道(スバクドー)」の名称で普及、大韓手縛道会の前身にあたる。

「テコンドー」命名

1950年代、韓国内の武道団体統治の動きは武道自体の名称統合の流れを生み、「テコンドー」が命名される。国政の動乱の中で一度は解体されるも、命名者崔 泓熙師の活動により復活を果たす。

  • 1950- 朝鮮戦争が勃発。臨時首都のあった釜山で「大韓空手道協会」が創立される。中央審査委員の資格が付与されないことを理由に、武徳館館長の黄 gと青涛館館長の孫 徳成(ソン・トクソン)師が脱退。
  • 1953- 黄 g、「大韓唐手道協会」を独自に発足。
  • 1954-崔 泓熙陸軍少将を含む第29歩兵部隊が李 承晩大統領の前で演武を行う。空手を知らない大統領はテッキョンと断定したままこれを賞賛、軍内での普及を宣言。崔 泓熙師は反日の立場を取る大統領に向かって日本の武道である空手とは言えず、またテッキョンとも違うことから自らが創始した武道であると伝える。

これは当時の軍国・民族主義的風潮への配慮(空手が日本を想起させる、現在に至る反日教育下)もあったため名目上テッキョンの名前を利用した。武道としては空手の派生であるとされる。

  • 195412 - 崔 泓熙師、自らが訓練してきた武道の名称を「テコンドー(?拳道)」に決定。
  • 1955年4月11- 崔 泓熙師が名称制定委員会を招集、テコンドーの名称が李 承晩大統領によって公式に認定される。
  • 195993- 崔 泓熙師、大韓空手道協会を「大韓テコンドー協会」に改称。
  • 1960- 李 承晩大統領が経済政策に失敗し、4.19革命で国外に追われる。黄 g、大韓唐手道協会を「大韓手縛道会」へと改称、大韓民国文教部体育会への登録を果たす。
  • 1961- 崔 泓熙師の後輩にあたる 正煕らによって引き起こされた5・16軍事クーデター後、政権が 正煕が率いる国家再建最高会議に掌握される。新政権樹立後、以前の文教部登録が無効となり、国家再建最高会議が団体の文教部への再登録を求めたことから再び統一名称問題が持ち上がる。
  • 19619 - 名称統合会議が開催され、テコンドーの「?(テ)」と空手の「手(ス)」を繋いだ「?手道(テスドー)」という名称に決定。組織名は「大韓テスドー協会」に改称される。
  • 1962- 蔡 命新中将が初代大韓テスドー協会会長に就任。黄 g、智道館の尹 快炳(ユン・ケビョン)を伴い、大韓テスドー協会から正式に脱退。崔 泓熙師、軍職を解かれマレーシア初代韓国大使に任命される。
  • 1964- 韓国に帰国した崔 泓熙師は大韓テスドー協会の会長に就任。テコンドーの名を復活させる活動を開始。
  • 1965- 崔 泓熙師、英文によるテコンドーの教本を発刊。
  • 1965318-  崔 泓熙師、統合宣言式を開催し「大韓テコンドー協会」を主張。式には黄 gも参加したが統合の無効を主張、独自に「大韓手縛道会」を活動させる。
  • 198585- 大韓テスドー協会、「大韓テコンドー協会」に改称される。

系統の分岐

再び会長職についた崔 泓熙師も1年あまりでその地位を退き、新たに創立された国際テコンドー連盟(ITF) の総裁に就任。一方、大韓テコンドー協会は韓国国技を担う位置付けを獲得していく。こうしてテコンドーは2つの系統に分かれて発展していくことになる。

  • 1966- 崔 泓熙師、大韓テコンドー協会会長を理事らによる不信任によって退陣。第5代会長に松武館館長の盧 秉直(ノ・ピョンジク)師が就任。同年、韓国、アメリカ、西ドイツ、イタリアなど9カ国の組織の承認を得て、国際テコンドー連盟(ITF)が創設され、総裁に崔 泓熙師が就任。式典はソウルの朝鮮ホテルで行われた。
  • 1967- 正煕大統領の意思の下、大統領警護室補佐官の金 容彩氏が大韓テコンドー協会の第6代会長に就任。
  • 1968-大韓手縛道会、ソウルで第1回世界大会を開催。
  • 1971- 正煕大統領により、テコンドーが国技の揮毫を受ける。
  • 1973-世界テコンドー本部総本部道場国技院が開館。同年、崔 泓熙師がカナダへ亡命、その際ITF本部をトロントへと変更し、これを受けて韓国が独自に世界テコンドー連盟(WTF)を設立。
  • 19735 - WTF、ソウルで第1回世界大会を開催。
  • 197410? ITF,カナダ・モントリオールで第1回世界大会を開催。

オリンピック競技化

1970年代に韓国国技の位置付けを確立したWTFテコンドーは、1980年代に入りオリンピック競技化への一途を辿る。

  • 1980- 83IOC総会で世界テコンドー連盟(WTF) とテコンドー種目が承認される。
  • 1986- WTFテコンドー、アジア競技大会の正式競技種目として採用され、実施される。
  • 1987- WTFテコンドー、ソウルオリンピックの公開競技種目に決定。
  • 1988- WTFテコンドー、ソウルオリンピックで公開競技種目として実施される。
  • 1992- WTFテコンドー、バルセロナオリンピックで公開競技種目として実施される。
  • 1994- WTFテコンドー、シドニーオリンピックの正式競技種目に決定。
  • 2000- WTFテコンドー、シドニーオリンピックで正式競技種目として実施される。

近年

2002-崔 泓熙師没(84歳)。没後、ITF3つの後継グループに分裂。

  • 200411 - ITF、アメリカ・オーランドで第1回ワールドカップを開催。

団体

テコンドーの主要団体として、ITFと、WTF 2つがあり、異なるシステム(級位・段位等)とスタイル(技、型、試合ルール等)を持っている。また、特に欧米ではいずれかにルーツを持ちながら独自に派生した団体や教室も数多く存在している。

ITF

国際テコンドー連盟(International Taekwon-Do Federation) は、1966322日に9ヶ国の承認を受けて韓国ソウルで発足。初代総裁は崔 泓熙師。ライトコンタクト制のルールで、下段攻撃は禁止されているが顔面への拳攻撃は許容されている。防具は手足のみに着用し、ベースとなった空手により近い。

197410月、ITF1回世界大会開催(カナダ・モントリオール)。以後、2009年まで16回の世界大会を開催。

2002年、初代総裁の崔 泓熙師没後、ITFはトラン・クァン氏派、張雄(チャン・ウン)氏派、崔重華(チェ・ジュンファ)氏派の3派に分裂。

WTF

世界テコンドー連盟(World Taekwondo Federation) は、1973528日に韓国国技院でおこなわれた設立会議を以って設立。限定フルコンタクト制のルールだが、防具は手足のみならず頭部、胴部にも着用する等安全性が考慮され、よりスポーツ性が高い。また、下段攻撃(ローキック等)や顔面への拳攻撃は禁止されており、連続の突きは点数にならないなど、より蹴り技に重点が置かれている。「足のボクシング」とも形容される

オリンピック正式種目になっているのはスパーリング競技(キョルギ)のみだが、世界選手権では型(プムセ; 品勢)、試割(キョッパ; 撃破)等の種目もおこなわれている。

日本における主要団体

日本での主な団体として、WTF 2団体 全日本テコンドー連盟(AJTF)・全日本テコンドー協会 (AJTA)ITF3団体、その他1団体が存在する。

 WTF

日本

19811

日本テコンドー協会 発足 
総裁 高橋 信義氏

19909

日本テコンドー連盟 改称 
総裁 高橋 信義氏 ・会長 加藤 六月氏(衆議院議員)

19968

日本テコンドー連盟と全日本テコンドー協会に分化

1998年  

日本テコンドー連盟 会長 深谷 隆二氏(衆議院議員)就任

19992   
   
9

日本テコンドー連盟 理事長に 円山 和則氏 就任日本テコンドー連盟・全日本テコンドー協会双方合意にて、連盟に1本化

20005月  

日本テコンドー連盟 理事会にて承認され、会長に 森 喬伸氏 就任

2001

日本テコンドー連盟 森 喬伸会長派と円山 和則理事長派に分派
* 原因は円山理事長(当時 風俗紙発行 ナイタイ出版 社主)が、独断専行で連盟を運営、又 過去2年間もJOCに決算報告書を未提出だった為に、JOCより組織改善命令が出されていた、依って、森会長に地方より改善を望む要望が多数有った為に起った事が発端である。

20023

 

日本テコンドー連盟全国総会にて理事長 円山 和則氏を解任し、会長 森 喬伸氏を再任日本テコンドー連盟 改称し日本テコンドー連合 設立 
会長 森 喬伸氏 就任

20035

 

日本テコンドー連合、日本テコンドー連盟(円山派)合併
全日本テコンドー協会設立 会長 衛藤 征士郎氏(衆議院議員)

2012

2013

公益社団法人 全日本テコンドー協会 会長 (金原 昇)JOC支給専任コーチ謝金不正使用問題でJOC第三者特別調査委員会報告を受け、処分決定
公益社団法人 全日本テコンドー協会 会長 (金原 昇)内閣府から
2度の是正勧告を受けるも、誰も責任を取ること無く公益法人を自ら返上し、一般社団法人に移行して責任逃れを行う

2014

その件に依り、全国各地より組織改革を求める方達が集り、 社団法人全日本テコンドー
連盟(AJTF)を設立

ITF

  • 1982- 崔 泓熙総裁がパク・チョンテ師範をカナダから日本に派遣。東京府中市に初のITFテコンドー府中道場が誕生し、日本の普及が開始。
  • 1983年7月4日- ITF より認可を受け、日本国際テコンドー協会(JITF、初代会長全 鎮植氏)が設立。
  • 2001- 日本国際テコンドー協会から日本テコンドー協会 (JTA)が派生・独立。「フルコンタクト・テコンドー」を掲げ、独自に発展した。
  • 2004- ITF3つに分裂した後、日本国際テコンドー協会から師範数名が離脱し日本のITFが分裂。
参考:Wikipedia